裏返ったものは表にしたくなる。数字があれば順番に並べたくなる。これ、人間の性ですね。
今回は、大人から子供まで幅広い年代で楽しむことができる『コンプレット』について考えていきたいと思います。
ゲームの概要
簡単に『コンプレット』の概要を説明しましょう。数字の「1」から「100」が書かれた100個の駒のうち、自分の目の前に並ぶ22個を昇順に並べることを目指します。最初に並べ終えたプレイヤーの勝利となります。
最初に並べた22個の駒のうち、5つは数字が見えた表にし、残りの17個は裏のままにしておきます。この後、表になっている駒を「ちょうど良さそう」な場所に配置します。
そのあとは以下の三択です。
・共通の場から裏向きの駒を取り、表にして既存の駒と入れ替える。
・共通の場から表向きの駒を取り、表にして既存の駒と入れ替える。
・自分の駒を入れ替える。
共通の場から裏向きの駒を取って表にした場合、配置できない場合には、共通の場に表向きのまま返します。
こうして、次のプレイヤー達は必要であれば、この駒を獲得することができます。また、自分の前に並んだ駒に関して、少し無理があると感じる場合には、駒を1枚移動させることもできます。
また、「19」は「61」、「68」は「89」などひっくり返して並べることも可能です。さらに、連続する数字を隣接させて並べられた場合には、連続して手番を行うことができます。
数量感覚
さて、このゲームはいうまでもなく「数量感覚」がものを言います。「数量感覚」って少し難しいですよね。計算ができる等の「スキル」とはまたちょっと違った「感覚的な」ものを意味しています。
試しに、私の学童で2年生、3年生、4年生とプレイしたときの並べ方を見てみましょう。
学年があがればあがるほど数量感覚が身につく……とは一概に言えないことがよくわかります。中学受験の講師として感じるのは、「数量感覚が実生活と身についている生徒は強い」ということです。
そのことをこのゲームはとても端的に教えてくれます。例えば、「3」と「16」が開きすぎているとか、「3」が左から2番目にある、というのは論理的に考えれば、絶対的な間違いではありません。もちろん、「1」「2」のいずれかを引くことも考えられます(写真の場合には既に1は出ていますが)。
しかし、「感覚」としては、「ちょっと違うかな」というのが率直なところです。
論理よりも少し大雑把ですが、それであるがゆえに「いい塩梅」が要求されるのが「数量感覚」である、と私は考えています。
現状、見えている数字と照らし合わせながら、目の前の数字を絶妙に数量としてとらえ、適切な場所に差し込んでいくことが求められるこのゲームは、子供たちにこのような「数量感覚」を養うことができます。
また、このような性質から、やっていくうちにある程度上手くなっていくのも、このゲームの魅力ともいえると思います。上達することで子供たちはより自発的に考えるようになっていきます。
修正力
さて、そうはいっても裏返された駒を表にしていくこのゲーム。いかに「数量感覚」が優れていようとも思うようにいくとは限りません。
例えば、写真のように余裕をもって「70」を配置したつもりが、「85」との間の駒はこの中には存在しない、なんてことも容易に起こりうるのです。
こんなとき、必要になってくるのは、当初の想定から現状に合わせて「修正する力」です。もちろん、手番を1回使うわけですから、ある意味では“もったいない”とも感じられます。
しかし、
不合理な現状を修正しないまま突き進んでも事態は一向に打開されません。
ゲームの終盤こそ、致し方ないところはありますが、早々に「残りの1つにかけて神頼み」というのでは、このゲームで勝つことは難しく、それどころか置くことのできない駒を場に戻さなくてはならず、まさしく「敵に塩を送って」しまいます。
よく考えてみると、これは何もゲームの中だけのお話ではありませんね。
子供たちの成長度や発達段階によっては、当初の想定にこだわり続けることはよくある話です。ぜひこのゲームを通じて、「修正力」を身に着けていってほしいと思います。
修正なしでコンプリート出来た場合には絶妙な「数量感覚」と類まれなる「運」をほめてあげましょう(笑)。
おわりに
今回はコンプレットをもとに、「数量感覚」と「修正力」について書いてみました。ゲームとは関係ありませんが、長女はこれを100個並べることで、なんとなく「数字」にある規則性を捉えっていったような気がします。コンポーネントが持つ子供を引き付ける力もボードゲームの魅力のひとつと言えるかもしれませんね。